寝過ぎは時間の無駄であります。

リンク: Yahoo!ニュース – 共同通信 – 寝過ぎは「もったいない」 新成人の時間意識調査.
休みの日などに寝過ごしてしまい、起きてみるともう 10 時。そこで思うことはやはり、「時間を無駄にしてしまった。いつもの 7 時半に起きていれば、新書の 1 冊くらいは読めたのに。もったいないことをした。」ということです。
以下引用。

 「寝過ぎた時」との答えは35・8%。次に多かったのは「だらだら過ごした時」で25・5%。「移動中」や「インターネット中」も上位だった。

わしの場合、だらだら過ごすというのはインターネットに接続して、2ch などをやるということです。つまりインターネット中ですね。やっぱり無駄ですよねえ。最近は Web を巡るのも、だんだんと行くページが決まってきてマンネリ化してきましたので、PC に向かう時間も減ってきましたが。
移動中も無駄ですね確かに。特に乗り物酔いをする人間にとっては全く無駄。音楽聞くことくらいしかできませんからね。
わしは乗り物に弱いのですが、友人に全く酔わない奴がいるのです。
高校生時分の話になりますが、フェリーで本土まで行ったとき、この男 4 時間もの間、波によって左右にフラフラと揺れる甲板上で水滸伝を読むという、信じられないようなことを実行しているんですね。
わしは顔面を蒼白にしまして、海上へ吐瀉物を撒き散らすことしかやってないわけです。このやっていることの違いを朦朧とする頭の中で考えたとき、こいつは、わしが船酔いでゲロゲロやってる間に水滸伝なんぞを読んでおる。ゲロゲロの自分と水滸伝のきゃつ。自分の行動は生産性がないのでゼロとすると、彼の水滸伝はゲロゲロに比べると無限大であって、こういう行動の小さな違いの積み重ねによって、自分ときゃつの差は開く一方であり、このままではきゃつは知的なところで遙か彼方へ行ってしまうのではないか。と心配したものです。
まあ、その心配は現実のものとなりまして、先日久しぶりに会ったときには、語彙の豊富さ、思慮の深さに磨きがかかっており、ああこいつにはとうてい及ばないなと、尊敬に似た気持ちと、いやいや負けられないなという気持ちとになりました。
とまあ、実際こういうふうにブログにだらだらと長文を書き連ねるという行為も、大抵の人の場合自己満足ですから、結局は時間の無駄だということになるのかも知れません。こういうの書く暇があったらギターの練習しろ>自分

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